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栃木県の総合内科医のブログ

栃木県内の総合病院内科の日々のカンファレンス内容や論文抄読会の内容をお届けします。内容については、できる限り吟味しますが、間違いなどありましたら是非ご指摘ください。また、内容の二次利用については自己責任でお願いします。

デスカンファ:「あきらめる」と「あきらめない」

恒例のデスカンファでした。私見ですが振り返ってみます。

 都内で老人ホームに入所していた90歳代の方でした。慢性心不全、誤嚥性肺炎で長期入院後経口摂取が出来ず。中心静脈栄養・尿道カテーテル留置され、積極的栄養投与について相談。胃瘻等の人工栄養は希望されませんでした。予後は数週と見込まれていて、反応も乏しかった様です。
 親族は奥様・子供は先に亡くなっており、栃木県内に住む親族が引き取る形となりました。県内の施設に看取りも含めたケアを目的に入所され、訪問診療を行う事になりました。
 施設入所早々にCV・尿道カテを抜去しました。食べられないと言われていた食事や水分も取れるようになり、
施設内で長年会っていなかった兄弟がショートステイで施設に泊まっての感動の再会があったりしました。また、本人が希望した入浴も出来て、特に目立った苦痛もなくある晩静かに息を引き取りました。

  この方は、急性期病院ケアの中で「食べられない」という結論となりました。ご本人・ご家族はそのことを受け止め、長生きを「あきらめる」という結論を出しました。ご本人にとって苦痛が多かった病院医療を離れ、施設での最後を覚悟しました。
 施設に入り、一つずつ管が取れる中、周りのケアをする一人一人は本人の希望を「あきらめない」で、少しずつ働きかけていきました。結果として、病院では出来なかった入浴も経口摂取も叶えることができ、本当に感動的な最後を迎えることが出来ました。
 逆説的ですが、長生きを「あきらめる」ことで、本当は希望していたことを「あきらめない」で済んだという考えさせられる結果でした。
 病院は何を提供出来ているのだろうか、患者さんにとって本質的に必要な事は何か?、医療者として「あきらめる」ことと「あきらめない」こと。多くのことを学ばせて頂きました。
(※個人情報保護の観点から一部情報を変更しています。