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栃木県の総合内科医のブログ

栃木県内の総合病院内科の日々のカンファレンス内容や論文抄読会の内容をお届けします。内容については、できる限り吟味しますが、間違いなどありましたら是非ご指摘ください。また、内容の二次利用については自己責任でお願いします。

デスカンファ:終末期の共通認識

デスカンファ

 先週のデスカンファは当院で行いました。もう少し連携の方々と集まりたいなあと思いながら。やはり病院からの呼びかけは敷居が高いですかねえ。工夫しないと・・・

 80代女性。もともとはバイクに乗って外出しちゃうくらい元気だったが、6年前から物忘れが出てから、比較的早いスピードで認知機能の低下とADL低下があり、2年前に誤嚥性肺炎で入院し、その後経口摂取ができなくなりました。夫の希望で胃瘻造設。本人の意向は分かりませんでした。その後在宅医療が始まっています。
  病院で胃瘻を作ってから、初めて訪問診療導入だったので、訪問医はそこで「初めまして」という状態でした。その後肺炎を繰り返したり、仙骨部褥瘡を発症して、入退院を繰り返しました。

 自宅にいると褥瘡が悪化してしまうとのことで、治療目的に入院。訪問医は積極的な治療以外に、在宅で経過を見ることも出来ますと説明されていますが、夫の希望は”急性期病院での精査・治療”という形でした。
 当院に転院後、褥瘡から全身感染症を併発。一時期心肺停止状態になりますが、蘇生措置を希望。CPRで奇跡的に回復し、褥瘡・膿瘍に対する外科的処置まで行いますが、最終的には帰らぬ人となりました。

(一部プライバシーの観点から内容を変更しています。)

 

 今回も臨床倫理の4分割法を用いて振り返ります。抱えたもやもやとして、”夫に充分病状が伝わっていたのだろうか?”、”認知症の終末期の方に侵襲度も高い医療行為を行ったことへの戸惑い”・・・など多くの意見・感情が出てきました。

 今回は在宅訪問医も参加してくださり、今までの状況もお聞きすることが出来ました。「治って欲しい、元気になって欲しい、できるだけのケアをして欲しい」という希望が強かったと。入院してからも同様でした。医療・治療への期待が非常に大きい方の場合、専門医療や侵襲的医療へのexcuseが時に「見捨てられた感じ」というメッセージとして伝わることがあるのかもしれません。認知症の終末期であるという共通認識が医療者側だけでなく、家族や周囲の方々と共有することの重要性を改めて感じました。
 あるスタッフからは、そんな感情が残された家族に強くあるのだとすれば、「残されていく夫への配慮としては必要な医療行為だったのかなと思います。」と話してくれました。

 本人の意向は最後の最後まで分かりませんでした。苦痛表情はありませんでしたがほとんど表情を変えずに、一点を見つめている彼女を思い出しながら、これで良かったんだろうかと振り返っています。

終章を生きる 下野新聞新書

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